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昭和11年8月31日に米坂線が全通、それに合わせて全国産業振興共進会という博覧会が開催されたそうですので、その時の物だと思います。
日本国民は戦前戦後を通じて大変な博覧会好きで、山形では大正5年に山形市で奥羽六県連合共進会、昭和2年に山形市主催全国産業博覧会が開催されています。その他昭和14年には山形新聞主催興亜大博覧会というものが、昭和16年には酒田市で酒田興亜国防大博覧会が催されています。山形県民にかかわらず、どれだけ博覧会が好きな国民なんだろうとかと笑いがこみあげてきます。郷土自慢と産業隆興を競う心意気の現れなのかもしれません。
ここにある3枚は昭和11年の「全国産業振興共進会」の絵葉書ですから、昭和2年の「山形市主催全国産業博覧会」とは別物です。米坂線というのは、米沢駅から新潟県村上市の坂町駅を結ぶ路線のことらしいですがこの祝いは、大正15年から始まった山形~新潟双方からの延伸が1936年の県境区間工事を最後に全通したことを祝った共進会ということらしいです。
ちなみに「共進会」とは・・・産業の振興を図るため、産物や製品を集め展覧し、その優劣を品評する会。 明治初年代より各地で開催された。 競進会。という意味らしいです。
上の絵葉書の続きです。共進会としては大正5年に山形市で開催された奥羽六県連合共進会の物が多くありますのでそれらは山形市の所で掲載したいと思います。
米沢市小野川町にある温泉です。昔に小野小町が父親探しの旅で東北へ向かう途中に発見したと云い伝えられている温泉です。小野小町にちなんで美人の湯美肌の湯ということで売り出しているらしいです♪昔は小野川ラジウム温泉と呼んでいたようです。
昔の美人は今の美人と基準が違うらしいのですけど・・・それはおいておきましょう。
町名も小野小町にちなんで付けられたものなのでしょうか?
美人の里、小野川温泉の見本となる女性陣です(笑)フェミニンからのお叱りが来るかもしれないので、この辺でやめときます。
忠魂碑は清水山にあったそうです。昭和53年の小野川バイパスの建設に伴ってどこかに移されたようです。どこに移されたのかは出てきませんでした。清水山公園は2015年から復活して同じ場所にあるらしいですが、復活までの37年間は雑木林として放置されていたそうです。
この絵葉書は6枚組なのですが、手元には5枚しかなくて、右側の1枚は別のバラ物です。
右の写真は最上川の支流の「おものがわ」です。手前に鮎釣りをしている人が映っていますので、水深の深くない場所なのでしょうか。水量はボチボチあるのでさほどの上流でもないように見えます。写っている橋の名前が分からないところが残念です。絵葉書はこういう構造物を特定させることに物凄い値打ちがあると思っているのですが・・・見た感じは沈下橋なので運が良ければ今でも残っているかもしれません。
大正6年建築の大樽橋、昭和38年にコンクリート橋になった松ケ根橋(以前の橋は木造だったらしいので該当の可能性もある。橋げた以外は木造に見えるので)、初代は幅も狭く増水すれば流されそうだったという鬼面川橋、その他熊野橋などがあるようです。小野川温泉の風光という絵葉書の中に映っているので小野川町にあるだろうと思って地図を小一時間眺めてみたのですけども、どうも鬼面川は小野川町にはかすって無いようで、この絵葉書はいったいどこの風景なんだ??と謎が深まってしまいました。。長さもそれほど長くはない。200メートルもないのでは?