当サイトは Google Analytics&statcounter社により、不正アクセスによるトラフィックの監視をしています
こちらでは販売はしておりません。あくまで趣味の範疇ですので加工が失敗してもそのまま掲載したりもします。小さな写真はクリックで大きな画像が開きます。
戦前山形県絵葉書集
酒田市(旧庄内藩)1
酒田局共電式電話開通記念
調べても詳しいことは出てきませんでした。この時代の電話交換は逓信省の所管事業だったので郵便局が受け持っていたはずです。
酒田港(絵画:作者不明と写真)
大正3年初代 釈迦大仏開眼記念 良茂山持地院(曹洞宗)
検索したら現在の釈迦大仏は目にしますが、これは戦争で供出して消え去った初代の釈迦大仏の姿です。
光丘神社 本間家3代当主本間光丘を祭神とする神社
「庄内藩は本間でもつ」と言われた本間家を大躍進させた3代 光丘を祭る神社です。戊辰戦争で連勝した強さの源は、この人が遥か昔に存在したからかもしれないと思うのでした。それだけ庄内藩は民衆が酒井氏を慕う土壌がありました。
酒田公会堂及び物産陳列館 光丘文庫
ある作業を余計にやりすぎて画像が荒くなってしまいました。なんとか見れると思います。
この光丘文庫もやはり本間家ゆかりで、光丘氏ではなく8代光弥氏からの蔵書寄贈からスタートしたらしいです。本間家伝来の書物の寄贈というだけで、ローソク足信者である私などは酒田五法の発案者の本間宗久(光丘の叔父)に想いが及びワクワクします。--酒田照る照る、堂島曇る、江戸の蔵米雨が降る--
飛鳥砂越名所 学校の桜 飛鳥神社(大7~昭8)
学校の桜の方は、学校自体が特定できませんね。学校名書いてて欲しかったなぁ。
飛鳥神社の写真のほうは驚いたことに現在の写真と比べてもほとんど変化がありません。この頃の鳥居周辺を塗装し直しただけなのか、木製の鳥居は腐りやすいからやはり作り直しているのかもしれませんけど、昔の趣を残している現在の造りの方に感心します。写真の方の社号標には郷社と彫られています。
現在の姿は「山形への旅 飛鳥神社」へのリンクでご覧ください。
飛鳥山仁王堂 飛鳥の二王尊(左右)(大7~昭8)
飛鳥神社の隣にある「飛鳥山仁王堂」にあるそうです。画像がなかなかなかったのですが、ブログで仁王堂まで写真で出してくれている所がアメブロで、1つだけ見つかりました。→北東北、自然の風景
この二王像は「二王」と葉書には記載されています。昔は表記の仕方が適当だったのか此方が正しいのか不明です。