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戦前山形県絵葉書集

鶴岡市(旧庄内藩)5 加茂町 2  9枚 漁港・町立魚市場・湯の浜海水浴場・荒崎・磯釣場・水難救済所

加茂町(現:鶴岡市加茂地区)の葉書は少し枚数がありましたので、漁港や海水浴場を含む海辺の近くの物と陸上の施設の物の組に分けました。今回の物は海辺の物の絵葉書のご紹介になります。

 

加茂漁港 其一・其二  大正7年~昭和8年

加茂漁港 其一加茂漁港 其二

下の2枚と合わせて加茂漁港の絵葉書を4枚まとめて掲載しています。地形的に漁業の町だというのは容易に想像がつきます。失礼な意味ではないのですが、港が全てという感じなのではないでしょうか。島で暮らす人々と同じように地域の人は何らかの形で漁業もしくは漁業関係者と繋がって長い年月の生活を営んできたのかもしれません。

今は防波堤のような物もあるようなので、景色もずいぶん違っていることでしょう。

小さい船が多いように見えますが、賑わっている様子が伺えます。山形に限らず漁業自体が昔よりも寂れてきていますから、今はこのような光景はないのかもしれないですね。私の故郷の高知でも跡を継ぐ人がいないという話を何度か耳にしました。仕事の旨味と、これしかないという選択の固定が薄れてきているのでしょうね。。

 

加茂漁港全景 其三 / 西田川郡加茂港の大漁 大正7年~昭和8年

加茂漁港全景 其三西田川郡加茂港の大漁

加茂漁港の全景(遠望)と右側は大漁旗でしょうか?

 

加茂町立魚市場 大正7年~昭和8年

加茂町立魚市場

この魚市場も漁業の町らしく町立であったということが、葉書のタイトルから読みとれます。普通は漁業組合が運営したりするものなのでしょうけれど、町全体が漁業で潤っていたというのが他の絵葉書と合わせて見るとわかりますね。山間の町の野菜の出荷場などは民間の経営ですし、よくて農協経営までなのですが、この町は産業の保護が手厚かったようです。

西田川郡加茂海岸荒崎の景 / 加茂海岸の磯釣 大正7年~昭和8年

西田川郡加茂海岸荒崎の景加茂海岸の磯釣

荒崎で検索すると灯台がヒットします。灯台単体での葉書はなかったのですが、遠くに見えるのがその灯台なのではないかと思います。と、思いたい。。。

右側はどこにでも海岸のある地域でなら見られる風景ですね。被り物が時代を感じさせます。

 

湯の浜海水浴場 / 大日本帝国水難救済会加茂救難所 大正7年~昭和8年

湯の浜海水浴場大日本帝国水難救済会加茂救難所

湯の浜といえばおそらく「湯野浜」のことだろうと思います。とすると温泉が有名な所なのですが、地図で見る限りは加茂地区とは離れているように思えます。一緒にありましたし、裏の宛名面のデザインも同じに見えますので、対で発行されたのだろうと考えて、こちらに掲載しました。山形で一番大きな海水浴場だそうです。加茂地区振興会さんのHPを拝見しましたら、湯野浜温泉の旅館もバナー貼っていましたので、まあこちらでもいいんじゃないかとの判断です。当方のバナーも貼ってくれないかな?(笑)←厚かましさ全開。

右の絵葉書は帝立とはいわないまでも管轄は国、管理は山形県に委託というところでしょうか。推測にすぎませんが、当たらずとも遠からずではないかと思います。私が気になるのは、はためく旗が何を表しているのかってことなんです。日章旗ではないので水難救済会の旗模様がこれだったのかなと考えています。加茂町の町標なのかな?

 

明治時代からある荒崎灯台や現在の加茂水族館の諸端となった原型の山形水族館(戦時中に廃止)などが写っている絵葉書があったら文句なかったのですが、少し不完全燃焼です。

 

 

 

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