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戦前山形県絵葉書集
鶴岡市(旧庄内藩)6 鶴岡公園見所 市内名所(鶴岡大泉橋/菅原堤/一日市町/市役所前通/商工会議所)
今回は鶴岡市内の名勝になります。5~6枚の枚数の少ない組物を3つ纏めて、その中から完全に図柄の被っている物を3枚程度外して掲載する絵葉書を選びました。
菅原堤の櫻花 / 出羽三山神社合祭殿 大正7年~昭和21年
菅原堤の櫻花は昭和8年~昭和21年までの間に発行された物で、出羽三山神社合祭殿の方は大正7年~昭和8年までの期間の物です。
鶴岡市役所前通 / 市内一日市町 大正7年~昭和8年
一日市町(ひといちまち)は秋田にも同名の場所があるようなのですが、こちらは鶴岡市の物だとはっきりわかる記載がありましたので特定の苦労はせずに済みました。町名自体は最上氏時代からあるようですね。こういった街並み(とくに駅前やローカルな交差点や街路など)が私は大好きです。
鶴岡大泉橋 / 鶴岡商工会議所 大正7年~昭和21年
鶴岡大泉橋は昭和8年~昭和21年までの間に発行された物で、鶴岡商工会議所の方は大正7年~昭和8年までの期間の物です。内川に掛かる鶴岡大泉橋は初代は眼鏡橋のだったはず(流木が引っ掛かり氾濫の原因になるとのことで架け替え)ですからこれは、昭和6年に造られた現在の2代目ですね。当時の欄干が写っています。
鶴岡消防組新設蒸気喞筒放水試験 大正7年~昭和8年
「喞」が難関漢字だったので調べるのに苦労しました。
①なく。すだく。虫が集まって鳴く。「喞喞」 ②かこつ。不平を言ってなげく。 ③そそぐ。水をそそぐ。「喞筒」
「しょくとう」と読むらしく意味はポンプという意味らしいです。日本では昔から手押しの木製の(ギコギコする)ポンプがありましたので、元々の日本語のようです。新しい蒸気式ポンプ付き消火設備の放水試験ということだったのですね。それ以前がどんな動力だったのか定かでありませんが、手押し式と比べると格段の違いでしょう。
性能はともあれ、「転ばぬ先の杖」なのですが、鶴岡では空襲も行われていないようで消火設備は出番の少ないほど良いということになりますね。お守りのような物です。
鶴岡公園 桜花 大正7年~昭和21年
左が昭和8年~昭和21年までの間に発行された物で、右の方は大正7年~昭和8年までの期間の物です。
鶴岡公園は鶴ヶ岡城址公園ともいうそうで、廃藩置県により明治9年破却されたお城などの建築物の跡地が公園となったらしいです。一瞬会津のお城と同じ名称?と思ってしまいましたが、あちらは鶴ヶ城だったそうで・・・間違い易い名称です。ここを含めての6枚は全て鶴岡公園の見どころ絵葉書になります。
いまでも桜は健在のようで、お城跡地の桜は日本全国定番ですね。
思うのですが、お城が残っていないというのは何か寂しく思いますね。私の故郷のお城は小さなものですが、残っています。やはり戊辰戦争の勝敗と何か関係があるのでしょうか?もう一度建てたらどうでしょう?・・・無茶か。。
鶴岡公園ノ花菖蒲 大正7年~昭和8年
「あやめ」でしょうか「しょうぶ」でしょうか?何故か同じ漢字を充てるので昔の写真ではわかりません。「はなあやめ」だと少し違和感がありますので、「はなしょうぶ」だとしっくり来る感じがしますが、調べていくうちに「あやめ」としているブログなどがありましたので、そちらが正解なのかも知れません。
鶴岡公園 大宝館附近の蓮 荘内神社 大正7年~昭和21年
大宝館附近の蓮は大正7年~昭和8年までの間に発行された物で、荘内神社の方は昭和8年~昭和21年までの期間の物です。大宝館剥大正4年築ということですので、その時の大宝館だけを移した絵葉書がどこかに存在するのでしょうね。鶴岡は空襲を受けていない地域ですから、当時のままの姿の可能性が高いはずなんですが、木造建築なら経年劣化での立て直しも当然行われているはずで、違いを比べてみたいです。マニアの性ですかね・・・
荘内神社の方は葉書が3枚もありました。「King of 名所」 なんですねぇ。旧藩主を追慕して庄内一円の人々により明治10年に創建。御祭神としては庄内藩主酒井家の4人の先祖(酒井忠次公、酒井家次公、酒井忠勝公、酒井忠徳公)が祀られている。本当に庄内藩は地元民に信頼されていたんですね。こんな藩は他にもあるのだろうか。