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組物の特徴はだいたいの所が保存状態が一定しているという点があります。保存状態の特徴としては、古書などと同じように1番上に来る物のスレやヤケが多くなって一番汚れている確率が高いということがあります。一番下に来る物は、置く場所によっては湿気などの水分を吸って濡れシミやカビ等が付着していることもあります。これには、そのような特徴はあまり見られませんが事務所その一の角に傷みが1箇所ある程度で済んでいます。印刷はコロタイプかと思います。
又、昭和21年まで使用されていた宛名面形式の絵葉書ですので正確には戦後の物の可能性もありますが、明確に戦後の物としての日付が記載されている場合や図柄になっている催し物や構造物が戦後建築と明らかな物を除いては、戦後直後は戦前物として絵葉書の慣例では取り扱われています。
大鳥湖という名前の絵葉書ですが、今の言い方で言うと大鳥池という方が判り易いかとも思います。この様な名前で絵葉書が残っているという事は、一昔前は湖と呼んでいたのかもしれません。地図で見る範囲ですけれど、サイズ的には池と呼んでもいいですよね。面積は0.4k㎡となっているらしいです。面積による呼び分けは慣例が無いようです。湖と呼んでしまうと、そりゃあ琵琶湖なんかと比べたら規模は小さいので適切な呼び方とは言えないかもしれません。しかし水深に関しては最大で68mもあるそうです。
この絵葉書での名前が湖となっている事に端を発して池と湖との違いを調べてみたのですが、違いは水深にあって5m~10mを池と呼び大方の場合5メートル未満を池と定義する慣例があるらしいです。ところが、この大鳥池は今は池と呼ばれていますが、水深が最大で68mもあるのです。定義としては湖と呼ぶ方が正しいのではないかと思えてきました。そりゃあこれだけ水深があったら、いくら探しても水深30m以下に生息すると言われるタキタロウが隠れるつもりなら発見できっこないですよね。
右側の写真は落口とよばれるポイントのようです。現地には行ったことがないので、色々な記事や写真を参考にするしかないのですが、どうやら下にある写真の七ツ滝の上部にあるらしいです。とすると、落口というのは池から水が出ていく場所ということになるのでしょうか?ここは実物を見たことが無い悲しさで断言ができないのですが、行ったことがある方は戦前の姿でつながりをお楽しみください。
前の落口の写真のところで記載したのですが、この七つ滝は落口の下にあって落口から七つ滝の上部の情景が見えるらしいです。90メートルの間に2段で落ちていく滝ということらしいです。「七ツ」の名称の由来は分かりませんでした。
落口直近の滝は「落口の滝」という呼ばれ方もしているようです。
2枚の制水門写真を並べてみました。
この水門を作る工事の際にハッパ(ダイナマイト)をかけた時にイワナ系の巨大魚が2匹浮かび上がってきて、工事の人が持ち帰って4日かけて食したという記録が昭和7年頃に残っているそうです。
こんな高地によく作った物だと思います。50kgのコンクリート袋を一人ひとり人力で背負って現地まで運び工事に供したそうです。
事務所の写真3枚です。
現地を見たことがない私などが写真をみますと一瞬タキタロウ山荘?と、思ってしまいます。特に白黒なので尚更そう見えてしまうのかもしれません。大鳥池にかんする建物を検索で調べて見比べてみたのですが、これと同じ形の建物は見つけることができませんでした。
すでに取り壊されて存在しない建物なのだろうと思います。コンクリート袋を背負いで持ち込まないといけないような細い険しい道しか無いような高地だったにもかかわらず、写真で見る限りは木造建築物のように見えはしますが、コンクリートらしい囲いも含めて重厚かつモダンな造りの建物に見えます。
この建物に関しては写真や建築の目的・経緯などの資料は見つけられませんでした。