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こちらでは販売はしておりません。あくまで趣味の範疇ですので加工が失敗してもそのまま掲載したりもします。小さな写真は指で拡大してご覧ください。

 

戦前山形県絵葉書集

米沢市(旧米沢藩)2 白布高湯温泉 堰神橋 仙境大滝 温泉源泉 温泉場全景 旅館高見屋 蔵王山湖水

この周辺の地域には現在でも高湯温泉が2つ存在し隣県の福島も合わせると3つあります。ですので、広い範囲で見ると間違い易い。米沢市限定で見ると2つあります。山形市には当初高湯温泉を名乗っていて後に改称した蔵王温泉があります。まだ改称されていなかった昭和初期はこの地域は高湯温泉乱立地域でした。このページは米沢の温泉のつもりでしたが堰神橋と高見屋旅館と蔵王山頂湖水は山形の物が混ざっています。スキャンしてしまいましたので、そのまま掲載いたします。

白布高湯温泉場 温泉の源泉  昭和8年~昭和21年

高湯温泉源泉

上記は、白布(しらぶ)高湯温泉の源泉です。

「高湯」の名称あれこれ(wikiや旅館のhp等から参照して混ぜてこねて整理)

この高湯は吉備多賀由(堀田村高湯温泉=現:蔵王温泉の発見者)の名前が転じて多賀由→高湯(山形弁では「たがゆ」になるので音は同じ)と呼ばれるようになったそうです。そして後からできた周辺の温泉場も同じように関係が無いけれども標高が高い場所にあるから名乗ったんですね。この辺の温泉は高湯をバンバン名乗っているようです。奥羽三高湯なんていう言葉もあるようですから。

白布(しらぶ)高湯温泉は、名称も煩雑さを避けるためもあり通称白布温泉(しらぶおんせん)と呼ばれており、蔵王温泉の次に発見された温泉です。令和の現代では、名称のややこしさは緩和されていますね。

此方に発見時期と標高を記載しておきます。

1.蔵王温泉(旧:高湯温泉[堀田村]):西暦110年頃(1900年前)発見と言われる。日本では皇記770年で古事記や日本書紀でしか知ることのできない時代となる。日本武尊(ヤマトタケル)に従軍していた吉備多賀由という人物が発見したといわれる。(蔵王連峰:標高880メートル)

2.白布(しらぶ)高湯温泉:西暦1312年開湯。蔵王温泉より1200年ほど新しく皇記では1972年で鎌倉時代に該当する。発見者は武士の佐藤宗純。当初は白斑鷹湯温泉と名付けられれていたが、それが転じて白布高湯温泉となったとも言われる。温泉の流れる様が白布のようだったからという説もあり。伊達輝宗や上杉鷹山が入湯したといわれる由緒がある。(標高900メートル:吾妻山)

3.新高湯温泉:西暦1812年和暦文政4年(江戸時代)に安部又エ門が発見、明治35年にそれまで湯治場だった温泉を新高湯温泉として開業。(標高1126メートル:西吾妻山連峰天元台高原) 上記2か所と違って旅館が1つだけあるこじんまりとした温泉場のようです。

個人的には、昭和25年に高湯温泉→蔵王温泉に改称してから名称のややこしさは解消されていると思いますが、古い資料を漁る私共にとりましては迷惑この上ない温泉地帯でした。いっそのこと、蔵王温泉・白布温泉・天元台温泉と固めたらどうでしょう?山形県条例で!・・(笑)

白布高湯温泉 温泉大プール 昭和8年~昭和21年

温泉大プール1温泉大プール2

この葉書に映っているプールは林間学校などが行われていた場所で、山形県立児童保健所という建物の一部として存在したらしいです。夏期聚落写真帖という写真帖や絵葉書にも多く残されています。保健所ですから、親のいない子供の養護施設とは違って虚弱児童の養護施設として造られていた物の様ですね。遊び場所は数多くあったでしょうから施設よりも食料を配った方が早いと思いました。例えば給食の充実や7時半から学校が始まるようにして朝食までもを給食にするとか・・・

 

白布高湯温泉場 新高湯温泉全景  昭和8年~昭和21年

新高湯温泉全景

 

現在ある3件の旅館も昔からあるとホームページには記載されていますので、どの旅館の撮影された姿なのか不明です。或るいはこれで3軒分写っているのかもしれません。現地へいかないと分からないですね。。。

平成に入っての火事で西屋旅館以外は一度は焼失したのですが、今は中屋、西屋、東屋とそれぞれ元に戻っているようです。ちなみに最初の開湯は東屋宍戸家だったそうです。

 

温泉旅館高見屋 大正7年~昭和8年 仙境大滝 昭和8年~昭和21年

温泉旅館高見屋仙境大滝

左の旅館高見屋は高湯温泉[堀田村](現:蔵王温泉)にあったもののようですが、絵葉書を整理する途中で知識不足でこちらに紛れてしまいました。この地域は高湯温泉が3つもあり堀田村にあった高湯温泉は蔵王温泉と改称し、その後山形市に編入されていますので正確にはこちらの物ではありません。まあ、3つも「高湯温泉」と呼ぶものがあって東北出身者でなければややこしく感じる地域だという事のために、こちらにそのまま掲載いたします。のちに堀田村の高湯温泉は、別の嬉しい理由で蔵王温泉に改称したので、ややこしさは無くなったんですけどね。この昭和の初めにはまだ3つの高湯温泉が混在したままなんです。

右は現在は白布大滝とよばれている滝だと思われます。仙境大滝という名前は確認できませんでしたが、白布大滝と写真を比べると同じ滝だということが判ります。私的には白布とか白糸とかありふれているので仙境大滝で良かったんじゃないかと思うのです。

 

堰神橋 蔵王山噴火口湖水 大正7年~昭和8年

堰神橋蔵王山噴火口湖水

左は堰神橋(セキガミバシ)、これも南村山郡高湯温泉にあったということですから、蔵王温泉の区域にあった物だろうと思います。上の高見旅館と同じように昭和の初めの高湯温泉乱立の証拠といたします。現在も山形市蔵王温泉堰神という住所が残っていますが、橋は山形市の調査で名称は出てきますが写真がどこにも出てこないので存在しているのかどうか不明です。葉書としては半分に折れていますので売り物にはならない葉書ですが、この角度から撮影された葉書は見つけられませんでしたのでアングルに価値が見出せるのではないかと思います。